| 御 由 緒 1298年、上野国神名帳利根郡の部に、寶高大明神は従一位に、薄根大明神は従二位にその御名がみえており、その神階の高さからみると、朝廷の崇敬が大変篤く、土地の人々からも崇敬されている大社でありました。 寶高大明神とは倭建命で、もとは現在の沼田公園内に鎮座され,沼田一帯の総鎮守でありました。 また、薄根大明神は菅原道真命で、古来より現在の社地に鎮座され広く崇敬を受け、その参道は梅樹並木でありました。それぞれのお宮がそれぞれの場所で、崇敬され親しまれてきたのですが、享禄2年(1530)沼田万鬼斎顕泰は、新たに城(倉内城)を寶高大明神の社地に建てることを決め、現在の場所にお遷し申し上げました。その時に同時に、すでに幕岩城内に勧請されていた顕泰の妻の産土神である埴山姫命をお遷しして、この三大神を一社に奉祭し、ご社殿を建立しました。 その後、元和元年(1615)真田信之公はご社殿を改築され家紋の六紋銭を御扉の上に描き、現在に至っております。 しかし、それよりも遥か昔、正応3年(1290)に奉納された梵鐘に、臼根郷春名権現の名が見えるのは、必ずしも顕泰のときに榛名の名が始まったとは限らないといえるかもしれません。 その後、榛名大権現として一帯の総鎮守と称えられましたが、神仏分離令により、明治2年、榛名大神と改めました。 尚、明治5年,氏子分離の訴訟があり,群馬県の論示により、上之町・中町・下之町・坊新田町・鍛冶町・馬喰町は須賀神社の氏子に改め、今に至っております。 以後,明治6年郷社に定められ,昭和3年縣社に昇格致しました当地方きっての神社であり、産業推進の神、家屋交通の神、文運保健の神として、ご神威は広く輝いています。 また、諏訪大神は,古来、瀧棚(今の上町)に鎮座され、寛政年間に榛名神社の西に鎮座せられましたが,明治41年,合祀されました。尚,ご社殿は,現在、上久屋神社のご社殿となっています。 当社は、沼田氏・真田氏・本多氏・土岐氏と代々城主の崇敬を受け、数々のご奉納の記録がありますが、現在も、本殿御扉の上には真田家の家紋である六文銭がはっきりと描かれています。また、本多豊前守ご奉建の鳥居も現存しています。 |
祭事暦
ご祭神
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